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​昔の出来事

​掲載日: 2022年10月27日   作者: 奥浦茂吉の父
 ブログでも掲載しているが、他界した父が書き残した文がある。 親子同じような…、自分の思いを書き留めておこうと思っている。 私はブログであるが、父は…、文章自体は印刷であるが、今も取引先との間で交わされる契約書が数十枚つづりになったような、製本はほぼ手作り状態である。 10年以上前に書かれた作品の様である。 残してくれただけでも、ありがたく思っており、その文章を是非共有したいと思う。

「尺祝い」

「尺祝い」と言う言葉は近年聞かなくなった。 私達の青年時代(50年ほど前)には、ラジオで新聞で本でうわさでよく聞いた言葉であった。 「尺祝い」とはそもそも何のことかと言えば、紙幣をきれいに伸ばして重ね、その高さが1尺(30.3センチ)になったことをお祝いしたことを言ったものである。 何故近年その言葉が我々庶民の生活から消えたかと言えば、昔の人のように箪笥貯金をせずすぐ銀行・郵便局に預けるようになったこと、紙幣の単位が大きくなったこと(当時は壱円、五円、拾円、百円であったが今では千円、弐千円、五千円、一万円)などだろうが、要は現金をできるだけ持たないですむ生活形態に変わったからだろう。 では、どんな人達が「尺祝い」をしたのだろうか?

 

 昭和13年(1938年)支那事変勃発により青年層は戦場へ駆り出された。 戦争が拡大するに比例してその度に強まり、元気な男性は1銭5厘の赤色の葉書(召集令状)によって否応無しに出征した。 農家・漁家の働き手がいなくなり労働力不足の上に、産めよ増やせよ・食糧増産と日本は戦時色一色となった。 食料も衣類も配給制度となり、生産者の野菜以外はすべて政府に供出させられた。 この上、昭和20年(1945年)太平洋戦争の終末にともない軍人の幅員、外地よりの引上げにより日本の人口は急増し、極度の食糧不足に見舞われた。 兎に角何でも良い、食えるものは何でも食わなければ餓死である。 従って農家は芋でも麦でも大根でも白菜でも作りさえすればすべて瞬く間に金になった。 漁家もどんな魚でも釣ってくればすぐ金になった。 その金が積もり積もって1、2年の中に1尺になったのである。そのお祝いを公然とするもの、ひっそりと身内だけでするもの、色々あった様だ。 蛇足だが昭和20年代の武内大臣のついた壱円札1尺で3,030円、坂上田村麻呂のついた拾円札1尺で30,300円、聖徳太子のついた百円札1尺で303,000円位あったそうだ。 現在では物価の変動に並行して紙幣も変化し夏目漱石の千円札1尺で3,030,000円、新渡戸稲造の五千円札1尺で15,050,000円、福沢諭吉の一万円札1尺で30,300,000円あるらしい。 私の記憶のある半世紀の間にかくも物価・紙幣価値が変動するものだと愕然とした。

 

 私の家は半農半漁だったので「尺祝い」などは夢にもみないものであったが、健次郎爺さんは大変几帳面な人で、魚を釣ってきて魚市場や仲買人さんに売った時、その代金として受け取ったくしゃくしゃの紙幣を姉に火アイロンで皺を延ばさせたり、縦20センチ・横10センチくらいの板に挟んで紐でぐるぐる巻きに巻いてある程度(5センチ?)になったら銀行か郵便局に預けていた。 従って何円札であれ、1尺になったものは見たことがない。

ポジティブシニアクラブ

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